久し振りのコンサート・・・



 久し振りのコンサートです・・。
コロナ禍で3年近く自粛して、コンサート等の催し物には出掛けなかったので、本当に久し振りに生の音楽を聴く機会となりました・・。

 英国エリザベス女王の在位70周年を記念したコンサートが企画され、プログラムが出来上がった日と女王の崩御が重なると云う偶然から、プログラムの表紙に『追悼』のシールが張られた「プラチナ・ジュビリー・コンサート」・・。

 「英国女王陛下の近衛軍楽隊」による演奏会は、隣市の芸術劇場大ホールで開かれました。普通のオーケストラやバンドの演奏は数多く聴いていますが、軍楽隊による演奏は初めてで、チケットの近衛兵の服装が興味を引きます。

 開演の30分前にホールに着くとかなりの人出です。入口での消毒と検温はどこでもお馴染みですが、チケットは半券を自分で千切ってテーブル上の箱に入れると云う「コロナ風」のスタイルです。目の前に行列が出来ていました。

 あまり動かない行列に、よく見ると前の方に黒い帽子と真っ赤な軍服の近衛兵が立っており、一緒に写真を撮るための行列でした。大きな人形かと思って横を通過したら動いたのでビックリ! よく見たら本物の近衛兵でした。

 ホール内は7分程度の入りで、「全席自由席」なので左側中段の最前列に座りました。およそ3年前に開場したホールは如何にも音響効果の良さそうな造りで、演奏が始まるのが楽しみです。照明が落ちて開演を知らせます。

 女性の司会者の説明が終わると同時に勇壮なマーチが響き渡り、ステージの左右のソデから演奏をしながらの隊員の入場が始まりました。軍楽隊は30数名の編成でそれぞれが席についた後、指揮者が登場です。

 ステージ中央に進み観客に向かって礼をしますが、その姿が如何にも軍人らしい礼の仕方で、パンフレットによれば「少佐」と有りました。早速演奏が始まります。管楽器だけの独特なサウンドがホール内に響き渡ります・・。

 どの曲の演奏も素晴らしく、軍楽隊と云うのは演奏家としても一流なのに軍人で有る事が凄さを倍加します。トランペットやフルートのソロは素晴らしい演奏で、紹介の名前の後ろに「中尉」や「上級伍長」等が付いています。

 「アメイジング・グレイス」の曲にはボーカルが付き、これまでは映画等でしか見た事が無かった「バグパイプ」の演奏を初めて生で聴きました。いろいろと飽きさせない構成で、あっという間に2時間半が経ってしまいました。

 コンサートの後は『洒落たお店でディナーを・・』等と云う目論見は9時近い時間のため、店の灯りは点いているものの「準備中」の札が下りていてアウト。それでは・・と思案する目の前に「焼き肉店」の看板が見えました。

 ステーキも焼き肉も同じ様なもの・・と入る事にしました。車からは何度も見ている『食べ放題』の店ですが入るのは初めてです。店内は若者ばかりで、シニアの二人連れに可愛い女店員が店のシステムを親切に説明してくれました。

 「食べ放題」と言われてもそうそう食べられるものでは無く、希少部位を中心に食べましたが、まずまずの味に「シニア割引」まで付き、驚く安さでした。コンサートと云い焼き肉店と云い、パフォーマンスの高い夜でした・・・。    
                               konakry





DSCF5485.JPG                    < 晩秋の公園 >

スポーツの世界・・・



 連日いろいろなスポーツが、世間の話題を集めています・・。
野球・フィギュアスケート・大相撲・サッカー・・と、様々なスポーツが実況され、その結果に人々が一喜一憂する平和な世の中です・・。

 嘗ては日曜日の定番だったゴルフ・トーナメントの決勝ラウンドのテレビ観戦も、自身のゴルフへの熱が覚めると共にしなくなり、野球もかなり以前は贔屓チームの試合を見ていましたが、こちらも熱が冷めてしまいました。

 当然ながら時と共に各スポーツの主役も入れ替わり、新しいヒーロー・ヒロインが続々と登場しています。総じて各スポーツ共に技量が世界レベル近くまで向上し、各分野での国際的な活躍も増えています。

 特に野球では大谷選手の活躍で大リーグ野球への関心が高まりました。その昔、野茂選手の活躍で始まった大リーグへの関心はイチロー選手で大きく膨らみ、大谷選手の登場でMVPを獲った昨年からは決定的なものに変わりました。

 大谷選手は渡米してから技術力の向上と共に肉体改造を成し遂げ、他の選手に見劣りしない体格になりました。「二刀流」のレベルも昨年を遥かに上回りましたが、2年連続のMVP争いは残念ながらホームラン王のジャッジ選手に・・。

 今年は彼のお陰でこれまでは見なかった大リーグの試合をBS放送で何度も見ました。野球と云うゲームは展開が分かり、投げた結果、或いは打った結果が様々な状況を呼び起こすだけのとても明快なゲームです。

 その点ではサッカーは流れが全く読めないゲームで、突然の急展開が起こります。攻めていると思ったらボールを奪われ、あっという間にゴールを決められてしまう『カウンター』が起きてしまったりして、瞬時も目が離せません。

 折からのワールドカップで一次リーグの「対ドイツ戦」は、強敵相手ながら引き分け位に持ち込めたら・・と期待しながら深夜まで試合を見ましたが何と逆転勝利! それならばと格下相手の「対コスタリカ戦」は予想外の敗北・・。

 「サッカーは何が起こるか分からない」と云われますが、正にそれを実感した二つのゲームでした。次のスペイン戦は明け方の時間帯なので見ないで済みそうです。そんな中で大相撲が千秋楽を迎え興味深い優勝決定戦となりました。

 優勝候補の高安が本割で負け、3敗の高安・貴景勝・阿炎の三力士による「巴戦」です。「巴戦」は2連勝した者が勝ちと云うハードな方式ですが、阿炎が見事に連勝して優勝し、見ていた妻は阿炎のファンになる事を宣言しました。

 プロスポーツの世界はどのスポーツにも体力の「限界点」が有り、どんな名プレーヤーも最後は引退を迎えます。引退後は同一スポーツの指導者や監督、解説者やリポーター、コメンテーター、タレント等々、様々な転身をします。

 監督やコーチとして活躍する人もいれば、解説者にとして意外な程の表現力を発揮し、『こんなに喋るの・・』と思う人がいたり、外観上では現役時代に「野獣」と呼ばれた選手が、引退後は可愛い女性に大変身したり・・と、色々です。

 コロナ禍が人々を悩ます世の中ですが、スポーツはひと時では有るものの沈む心を忘れさせてくれる力を持っています。サッカー・ワールドカップの真っ只中・・。見ないつもりですが「対スペイン戦」が気になります・・・。 konakry




DSCF5482.JPG                    < 樹林の出口 >

コロナは・・・



 感染の『第8波』に入ったのか・・?
漸減傾向だった新型コロナウイルスの感染者数に増加の兆しが見られます。首都の数字も5桁になり、全国でも10万人を超える日が出始めました・・。

 専門家の意見も第8波の『傾向が見られる』から『明らかに入った』まで様々ですが、規制の解除と共に行楽シーズンの到来で人出・人流が増え、その結果感染者数が増えているようです。更にこれからは年末・年始を迎えます。

 夜のニュース番組で「忘年会」の話題が取り上げられ、忘年会をやるか否かのアンケートでは賛否半々・・。「やらない」が主流だったこれまでの2年間と比べると少し傾向が変わって来ました。年代別では20~30代が賛成派です。

 インタビューで、コロナ以降の入社と云う20代の女性は企業での忘年会を経験した事が無く、やってみたい・・と云う声。面白いのは感染拡大になる前に早めの忘年会をやってしまおう・・と云う企業が多い事です。

 画面では早めの忘年会という事で、ビールのジョッキを手に楽しそうに乾杯している様子が映し出されていました。店側も何とか集客しようと、『予約日の前日までキャンセル料は無料』と云った宣伝をしている店も有りました。

 元来、飲食店やアルコール類に罪は無く、アルコールが入ってハイになった人間が大声で喋り、感染者ならウイルスをエアロゾルでまき散らし、非感染者はそれらを吸い込み感染拡大が行われる・・と云った図式の筈ですが・・。

 営業時間やアルコール類の提供禁止等様々な規制を掛けられ、補助金は出たものの事業が立ち行かなくなった店が沢山有ります。実際に嘗て馴染みだった店で、この2年半の間に廃業した店が10軒近く有ります。

 「ゼロコロナ」を標榜している隣国では、3万人を越える感染者の発生に都市封鎖や強制検査の実施等の強権発動で抑え込みを行い、その結果暴動が起こったりしていますが、民主国家である我が国ではそんな施策は出来ません。

 補助金の給付にも限界が有り、経済破綻を恐れる政府は「規制を掛けずに経済振興を計る」路線に変更したようです。『感染対策を施し十分注意した行動』とは、言葉を変えれば『自主判断・自己責任』の世界です。

 拡大初期は感染後直ちに重症化し死亡に至るケースも多く、恐怖感を煽ったコロナでしたが、時間の経過に連れ「変異」を繰り返す内に、感染者数は増えたものの重症化のリスクが減ったような傾向が見え始めました。

 更に3年近い時間は人々の心に『慣れ』と『飽き』を発生させ、恐怖感も薄らいでいます。国産初の経口治療薬が緊急承認されたと云うニュースも追い風となり、感染症法上の扱いも2類から5類へと変える動きも始まっています。

 WHOから終息宣言が出されるまでにはまだ暫く時間が掛かりそうで、本当に『Withコロナ』の生活を始めなければいけないようです。「手洗いとうがい」・「マスク」・「消毒」と云った基本事項を遵守した生活・・。

 所属している公民館のサークルでも三年振りに忘年会が企画されました。以前は大きめのカラオケルームで行ったものを今回は開放的な店に変え、12月早々に実施します。しかしながら本日、早くも参加辞退者が現れました・・・。    
                               konakry





DSCF5483.JPG                    < 最後の紅葉 >

御堂山・・・(3)



 梢から午後の陽射しが漏れる静かな山頂・・。
食事を終え、双眼鏡を取り出し木々の隙間から見える景色を観察します。周囲の山々は紅葉が赤から茶色に変わり始めていました・・。

 突然斜面を駆け登って来るような音が聞こえ、軽装の若者が山頂に姿を現しました。車を停めた時間から考えて誰も居ないと思っていたので少し驚きましたが、若者は山頂標柱を写真に撮ると直ぐに駆け下りて行ってしまいました。

 最近はあちこちで「トレラン」の人を見かけますが、登山とは全くスピードが違うので、登山の時間帯とは合わないのかも知れません。山頂は再び静寂の世界に戻り、ゆっくりと昼食・休憩を楽しんだ後、下山を始めました。

 登りで感じた急登は下り始めると余計にその傾斜を実感します。こんな所を良く駆け下りる事が出来るな・・と思う程で、落ち葉で滑る道を踏みしめながら下ります。高石峠との分岐を過ぎ、「展望岩」の入口に着きました。

 「展望岩」は尾根から東側に伸びる支尾根の先に在り、「じじばばの岩」を東側から眺める事の出来るビューポイントのようです。ここも御堂山の「売り」で、見ない訳には行かないようです。道は下っているようですが・・。

道はかなり下っていて帰りが思いやられますが、次第に登りに変わり尾根の頭が見えて来ました。登り切ると枝の中で眺望は無く、まだ先に進むようです。次第にヤセ尾根に変わり前方に大きな岩が見えて来ました。

 岩の左側を巻くようですが、左下に切れ落ちた崖の道幅は30センチほどで、やや緊張しますが午前中のトラバースに比べたら遥かに楽です。最後の岩をよじ登ってテラスに出ると、こちらも素晴らしい絶景が待っていました。

 茶色の山肌が海のように続く遥か先に「じじばばの岩」がシルエットになって並んでいます。幾重にも連なる南牧村の山々の一番奥は荒船山で、午後の陽射しに輝く山肌とシルエットの山並みとのコントラストは正に絶景です。

 午前・午後の二つの絶景が無ければ、「悪路の御堂山」として山の評価は大きく下るに違いありません。道は何時しか涸れ沢の中になり、悪路が始まりました。大きな岩や木の枝等を避けて歩き易い道を探しながら下ります。

 結果的にはそれがルートのようで、時々赤テープが出て来ます。下りになっても全くスピードが上げられない、御堂山の一番の難所です。30分ほど掛かって「小滝」の上部に出ました。岩の端を斜めに下れば降りられます。

 「小滝」を過ぎると同じ悪路でも山道なので涸れ沢よりは遥かに楽です。時刻は午後3時に近く「山の夕暮れ」ですが、南西方向に下って行くため太陽が見え、「明るい午後」と云った感じで、逆光に浮かぶ木々が何とも綺麗です。

 林道に出ると太陽は山の陰で、辺りは薄暗くなりますが、道が良くなりスピードが上がります。西上州では以前登った物語山もとんでもない悪路でしたが、今回は二つの絶景がそれを帳消しにしてくれました。

 疲れたものの久々に達成感・満足感を感じた山行で、道の良さと相俟って自然と足取りが軽くなります。樹林のトンネルの先に夕日に光る民家の白い壁が見えて来ました。登山口は直ぐそこです・・・。           konakry





DSCF5481.JPG                    < 展望岩からの景観 >

御堂山・・・(2)



 涸れ沢の登りが始まりました・・。
踏み跡は殆ど無く、水が流れていればどちらかの岸がルートですが、水が無いと沢全体がルートで、歩き易い場所を探すと赤テープが出て来ます・・。

 帰路に上から見たら良く分かったのですが、ルートはほぼ沢の中央でした。次第に高度も上がり、周囲が開けた場所に出ました。木の幹に取り付けられた案内板から「じじばばの岩」と山頂への分かれ道に出たようです。

 出発からおよそ1時間半が経過しました。山頂に向かう前に「じじばばの岩」を見る事にして左手の尾根に向かいます。町のホームページに載っていた奇岩がこの山の「売り」のようで、見ない訳には行きません・・。

 ヤセ尾根を数分進むと前方に巨大な岩が見えて来ました。情報ではこの岩の右手を巻いて進むようですが、「難所のトラバース」と有り、今回初めてザックをデポし、カメラを入れたポーチだけを持って行く事にしました。

 大岩の右側を下る踏み跡があり、暫く進むと登りに変わりました。左側は岩の壁面で、右下に切れ落ちた斜面には所々に木が生えていますが、落ちたら大事になりそうです。岩の壁面には鎖やロープが有りません・・。

手掛かりとなるのは岩の間から生えている細い枝や小さな岩の突起で、それらに触ってバランスを取りながら進みます。ザックを置いて来て良かった・・と思いました。最後の岩の隙間からよじ登ると凄い景色が待っていました。

 目の前に奇妙な形の岩が聳えていました。正に「奇岩」です。「ばば岩」と呼ばれる岩は二つの岩が力学的には首を傾げたくなるような形で繋がっています。「おばあさん」の後ろ姿と言われると、そう見えなくも無い感じです。

 そしてどれくらいの距離なのか、遥か先には細長くて上が大きい岩がシルエットになって見えています。「おじいさん」と言われればそう見える気がする形で、二つ並んだ先には南牧村の山々や荒船山が見えています。

 誰が付けたのか「じじばばの岩」は『炬燵にあたるおじいさんに食事を運ぶおばあさん』とも『箪笥に洗濯物をしまうおばあさんを見ているおじいさん』とも、どちらも正解と云える解説で、正にそう見える奇岩の景色です・・。

 写真と動画で十分堪能して帰路に就きましたが、先ほどのトラバースの道までは下りになると厳しさが倍加し、久々に緊張しました。何とか降りてザックのデポ地に着き、分岐点に戻ると40分ほどが経過していました。

 山頂に向かう急登が始まりました。スギに囲まれた尾根筋を登りますが、春に登った「金剛萱」を思い出す急斜面が続きます。30分ほど登った所でようやく斜面の先に空が見えて来ました。登り切った先に小さな三角点が有りました。

 小さな空き地が山頂のようで、三角点の先の木の幹に「御堂山 878.3m」と記された板が巻き付けられていました。眺望の利かない山頂ですが、木々の葉が殆ど落ち、枝の間から妙義山と中ノ岳神社の鳥居が見えました。

「じじばばの岩」で40分ほど費やし、出発から3時間近く経ちましたが、一応登頂したので昼食を摂る事にしました。枝を離れた枯葉がゆっくりと舞うように落ちるだけで、何の気配も無い静かな山頂です・・・。   < 続 く >      
                               konakry





DSCF5480.JPG                    < じじばばの岩 >

御堂山・・・(1)



 青空の隙間が広がって行きます・・。
薄い雲に覆われていた空に青空の隙間が現れ、その隙間がどんどん広がって行きます。どうやら天気予報通りの晴天が期待出来そうです・・。

 高速を降りた鏑川沿いの道はいつも通りの車の少なさで、小中の信号を過ぎると一台も走っていません。周囲の山々は盛りを過ぎた紅葉が茶色に変わり始めていました。静かな山間の道は秋の終わりを告げているようです。

 右手に周囲を柵で囲まれた石柱が見え、その先に国道から右折する道が見えて来ました。目的地の「藤井入口」で、藤井の集落に向かうバス停が有る空き地が駐車場のようです。こちらにも一台の車も有りませんが端に停めました。

 午前9時40分。身支度を終え出発です。歩き出すと直ぐ、先ほどの石柱の前に出ました。「西牧関所跡」と書かれた石柱は、江戸時代に国道が「姫街道」と呼ばれ、比較的女性が容易に通行出来た街道に作られた関所の跡との事です。

 『入り鉄砲に出女』と云われ女性の通行に厳しかった時代、中山道の裏街道として使われ、先の理由で「姫街道」と呼ばれたようです。柵の中には石柱と共に礎石が埋められていて、地元が作製した説明板が有りました。

 関所跡の横を曲がった途端、前方に陽に照らされて赤く輝く岩山が現れました。御堂山の前衛峰のようですが、如何にも西上州と云った景色が現れ、久し振りにテンションが上がります。林道入口のゲートが見えて来ました。

 ゲートは50センチ位の高さまで3本の電線が張ってあり、説明板によると獣類が出てくるのを防ぐための設置で、端のグリップを持って外し、戻す・・と書かれてあります。通電状態は分かりませんが、注意して外しました。

 林道はスギ・クヌギ等に囲まれた沢沿いの道で、緩やかな傾斜と共に落ち葉のクッションが歩き易い快適な道です。何処の山でも林道部分は歩き易く、また見える景色も心が和み山行に期待を持たせてくれるのが不思議です。

 30分ほど歩くと林道が終わり、登山道の案内板が現れました。道は急に狭まり傾斜も増した上、抉られた路面に石や小岩が増え、それらが落ち葉で隠されて踏むまで分からない状態です。一気にペースダウンです・・。

 更に20分ほど進むと「小滝」と呼ばれる場所に着きました。前方が4メートルほどの岩で塞がれ、岩の中ほどから大きな窪みがドームを形成し、その前を夥しい水滴が滴り落ちています。水滴は落ちているのか浸み出しているのか・・。

 「滝」と呼ぶには多少の違和感が有りますが、何処かで観たような光景は「軽井沢の白糸の滝」を想い出しました。岩の上は涸れ沢の筈で、地中から浸み出して来るのか、ここでも山の保水力を思い知らされました。

 滝の右手にロープが見え、そこを斜めにトラバース気味に登って上に出るようです。手掛かりも足場も豊富で、ロープに頼らず登れました。登った先は涸れ沢の中央で、沢の中を登ってゆくようです。先の方に赤いテープが見えました。

 足元には大小の岩や折れた枝、場所によっては倒木が塞ぎ、まだ葉の付いた枝先が降り掛かっている場所も有ります。踏み跡と赤テープを探すルート・ファインディングを要求される沢登りが始まりました・・・。  < 続 く >      
                               konakry





DSCF5479.JPG                    < 荒れた涸れ沢 >

歴史は繰り返す・・・



 『歴史は繰り返す』と云う言葉が有ります・・。
人間の歴史は常に同じことの繰り返しで、全く進歩・進展が無い‥と云う見方もありますが、それが人間の人間らしい所以であるとも言えます・・。

 戦争が良い例で、原因は兎も角、結果の悲惨さを痛感すれば二度と起こさない筈ですが、戦争は無くならず、紛争や抗争と云ったレベルでは毎日のようにあちこちで繰り返されています。世の中から戦争が無くなる事は有りません。

 開始から9ケ月近く経つロシアのウクライナ侵攻・・。 仕掛けた方は「戦争」と言わずに「特別軍事作戦」と言っていますが、戦争はウクライナ国民だけで無く、ロシア国民にも日を追って大きな被害をもたらしています。

 客観的に見ると今回の「ウクライナ戦争」には「落しどころ」が見えず、果たして何時、どうやって終息されるのか見当も付きません。何も出来ない身としては一日も早い終息を願うしか無いようです・・。

 国内に目を転ずると支持率低下を続ける政権に次々と問題が発生していますが、全ての元凶は「統一教会」です。60年近い昔から国内で布教活動を始め、様々な組織に浸透して行きました。思い起こせば学内にも「勝共連合」が・・。

80年代からは「霊感商法」等で注目を集めましたが、いつの間にか話題にならなくなり、今回の「安倍事件」で再び浮上しました。しかし不法行為の実態は脈々と続いていた訳で有り、更に教団の浸透は驚くほど進んでいました。

 『瀬戸際』と揶揄された経済再生担当大臣の更迭に続き、スピーチでの受けを狙って不謹慎な発言を続けた法務大臣も更迭され、「閣僚の更迭ドミノ」が始まろうとしていますが、その中で「笑えない笑い話」を見付けてしまいました。

 10年以上前の民主党政権時代、時の法務大臣が不謹慎な発言をしたのを国会で厳しく追及し辞任に追い込んだ野党・自民党議員が、今度は自身が法務大臣の時に公選法違反で実刑判決を受けるハメに・・。

 『法務大臣にあるまじき発言だ!』と、鋭く追及したその言葉がブーメランとなって自身に返って来るとは・・。正に「歴史は繰り返す」そのものです。「1強」とか「最長」と云われた与党政権が何処まで持ち堪えられるのか・・。

 嘗て2009年の民社党政権の誕生時には、それまでの15年間の自民党政権に対する国民の不満が政権交代を生みましたが、現在の状況はどうか・・。国民の不満は高まっているものの受け皿となる野党にも問題が有ります。

 政党別の支持率を見ると自民党の支持率37%に対し、野党各党の支持率を合わせても届かず、それに迫るのは「支持政党なし」の36%です。如何に国民の政治不信が政治離れに繋がっているかを如実に物語っています。

 そんな矢先、ついに「更迭ドミノ」が始まってしまいました。言い訳を続けて何とか延命を計っていた総務大臣ですが、流石に総理もかばい切れないのか更迭・・。ここまで続くと総理の任命責任も厳しく追及されそうです・・。

 政治不信が増大する中で、国会で審議して欲しい重要法案は山積ですが、なかなか本題に入れません。果たして歴史は繰り返されて、十数年前の政権交代がまた行われるのか・・次の選挙がカギを握っています・・・。    konakry





下山の風景.gif                     < 晩秋 >

寂しいゴルフ会・・・



 お馴染み「よんまるゴルフ会」・・。
天気予報では「晴れ」と言われていたものの、昨日の雨からは想像出来なかったほどの快晴となった絶好のゴルフ日和で、しばらく振りの参加です・・。

 今回は県西部に在るSカントリークラブで、山間に作られたゴルフ場の周囲は綺麗な紅葉に変わりました。年中利用しているゴルフ場ですが、季節により周囲の景色が変わるのは、四季の有る我が国ならではの贅沢です。

 10数年前に高校同窓のÅ君が呼び掛けて始まったゴルフ会は、病で亡くなったÅ君の後をE君が引き継ぎ、真夏と真冬を除く「毎週開催」となり、参加者も増えて名簿上では40名近い人数の会になってから10年近く経ちました。

 E君は幹事をまるで仕事のようにこなし、毎回違ったコースでプレー出来るように5、6ヶ所のゴルフ場を確保し、プレーの一ケ月半前にその月の参加を募ります。各自の都合に合わせた好きな時の参加が出来るシステムです。

 年間で40回以上の開催なのでの、幹事のE君と同様に「ほぼ毎週ゴルフ」を楽しんでいる会員も何人かいます。その上を行くのがH君で、週に2,3回はプレーしており年間では百数十回をプレーすると云う「ゴルフ人間」です。

これまでも重篤な病を何度も発症しながら治療とゴルフを繰り返す生活をしており、正に「ゴルフ命」のH君ですが、又もや新たな病が発症し入院してしまいました。メールを送ると返事が来て、治り次第復帰するとの事・・。

 亡くなってしまう会員もいて、これまでは初代幹事長のA君とK君には冠を付けた「メモリアル・コンペ」を開催していますが、冗談に『今後の物故者はまとめて合同メモリアルにする』と云った所、続けて二人が亡くなりました。

 病気による休会の者も続出し、更にはコロナ禍により首都や他県から参加していた会員も休会同然となってしまいました。ゴルフはやらなくなったものの、コンペ後の宴会には顔を見せていた会員も数名いました。

 コロナは年に一度の泊りのコンペや通常のコンペ後の宴会の機会も奪い、その結果顔を見られなくなった会員も随分増えました。嘗ては会一番の飛ばし屋でゴルフを止めても宴会には顔を出していたT君とも4年近く会っていません。

 多い時には5組、少ない時でも3組は集まったのに、現在ではなかなか3組になりません。前回は4名ずつの2組でしたが今回は2組でも4名と3名の7名で過去最小人員です。常連だったO君が急遽欠席になったとの事・・。

 O君はどうひいき目に見ても問題有りそうな体型ですが、不思議な事に定期健診ではどこも異常無しのお墨付きを貰っています。そんなO君が二日前に救急車による緊急搬送で入院してしまった・・とは、幹事長E君の話です。

 今日は上級者M君と未だにゴルフの探求を続けている皆勤賞Ha君のスリーサムで、素晴らしい好天の中、楽しいプレーが続きます。ゴルフの内容もまずまずで満足な筈のHa君は何故か浮かぬ顔です。訳を尋ねると・・。

 健康診断で異常が分かり精検の結果、入院・手術を申し渡されたとの事でした。また一人休会者が出そうです。コロナ禍が活動の停滞に輪をかけ、年を追う毎に萎んで行く組織・・。ゴルフ会の今後が気掛かりです・・・。
                               konakry         




いわし雲.gif                    < 秋の終わり >

文化祭・・・



 11月は「文化祭」のシーズン・・。
地域毎の公民館を中心に、文科系・体育系等様々な活動をするサークルが日頃の成果を発表する場であり、地域住民を巻き込んだイベントです・・。

 秋の祭礼と同様の一大イベントとして何十年も続けられて来ましたが、2年半前に始まったコロナ禍により「中止」・「規模を縮小して開催」と、従来のやり方を大きく変更せざるを得なかったこれまでの2年間でした。

 感染の「第7波」も終息傾向が見られる中、作品の展示だけの昨年に対し何とか従来に近づけようと「舞台発表」を企画しました。リスクの少ないサークルを中心に会場の人数制限を行い、5つのサークルの参加が決まりました。

 市営の公民館と地域自治会連合会の公的組織が共催するため、夏の段階から実行委員会を組織し、2回の会合を開く中で文化祭の詳細が計画されて来ましたが、感染防止と云う大きな制約の中で様々な工夫が成されています。

 百数十名で構成される大組織の実行委員会を、これまでは全員集めての会議を行っていましたが、各組織代表のみによる20名ほどの会議での検討に変更し、特に感染防止の対策を中心に実行計画を策定しました。

 公民館の建屋内での開催のため、入口での「消毒」と「検温」の『関所』を設け、入場者情報を把握するためには『健康状態申告書』を事前に広報等と一緒に地域に全戸配布し、忘れた場合は入口で記入すると云う仕組みを作りました。

 土・日の開催のため、金曜日に準備を行いますが、以前は展示物を飾るパネルの搬出と組み立てが大仕事で、狭い廊下に大勢が並び手渡しする作業を行っていました。それを軽トラックの利用で外から各部屋に入れる方法に変えました。

 誰が発案したのか作業が大幅に短縮され、従来は半日掛かっていたものが僅か1時間半で終了です。これまで長い間、何の疑いも持たずに大変な苦労をして「人海戦術」で行っていた訳で、正に「前例踏襲」の悪しき見本でした。

 公民館の入口周辺には各サークルの幟旗を20本近く立てたので、雰囲気も上々です。初日の開始は9時ですが、今回は舞台発表で「キッズダンス」が有るため、入口付近は出演するチビッ子で溢れていました。久し振りの賑わいです。

 ダンスの後は声を出さない手話コーラスやギター演奏、フラダンス等様々な舞台発表で観客の人数制限のため用意した整理券は全て無くなり、予想外の人出です。尤も全て出演者の家族や知り合い等の「身内の観客」ですが・・。

 『関所』の効果は十分発揮され、館内には身元の分かる人だけとなり、感染拡大防止対策は十分に機能したようです。来場者の中には厳重な受付態勢に、「そこまでして入っても・・」と、そのまま帰る人も何人か見受けられました。

結局二日間で7百名を越える来場者となり、主催する側を差し引いてもかなりの人数となりました。文化祭の開催を中止した一昨年や、展示のみの開催だった昨年に比べたら大きく前進した今年の文化祭と総括出来ます。

 高齢化社会と云われる人口構成の変化や定年延長を始め社会構造が大きく変化して行く中で、公民館活動もその在り方の見直しを迫られています。たとえコロナが終息しても、果たして文化祭は今のように存続出来るのでしょうか・・・。
                               konakry






錦秋の午後.gif                    < 錦秋の午後 >




紅葉の三峰山・・・(3)



 突然登山者が現れました・・。
軽装の若い男性で、挨拶して尋ねると河内神社から登って来たようです。そのまま止まらずに後閑峰の方に駆け登って行きました・・。

 平日の山で人に出会う事は殆ど無く、しかも今回は駐車場に着いた時間から、その後に来る者は居ないと思っていたので意外でした。若者は凄いスピードで駆け登って行ったようで、直ぐに鈴の音も聞こえなくなり静寂が戻りました。

 如何に平坦とは言え片道5キロを越える距離は長く、紅葉は綺麗なものの変化の無い樹林だけの景色は次第に飽きて来ます。出発から2時間を超え、道はまた登りに変わりました。今度はピークの上まで登って行くようです。

 一瞬山頂の期待が高まりましたが、GPSではまだ距離が有ります。登り切ると目の前にもう一つのピークが現れました。その先には空しか見えず、気を取り直して登り始めます。中腹を過ぎた辺りで上から降りて来る人影が見えました。

 互いに近づくと先ほどの若者でした。山頂は風が冷たく、早々に引き上げて来たとの事で、またもや凄いスピードで駆け降りて行きました。動画を撮影しながら山頂に登り着きました。山頂は標柱とベンチが一つ有るだけの狭い広場です。

 眺望は北側に僅かな隙間が有るだけで、そこからは山頂部分が雪雲に覆われた谷側岳が見えていました。いつの間にか空は僅かな隙間を残して雲で覆われており、冷たい北風が余計に景色を寒々としたものに変えていました。

 途中の行程を思い浮かべ、昼食はここで摂る事にしました。結果的にはそれが大正解で、防寒ジャンバーを着てベンチで昼食を食べ終わるのとほぼ同時に、雨滴が顔に当たりました。まだ降るというよりも風に飛ばされた感じですが・・。

 下山を始めて二つピークを越えた辺りから周囲がうるさくなりました。雨が本格的に降り出したようで、それが樹林に当たる音ですが、幸いな事に樹林の中には雨があまり落ちて来ません。眺望の無かった道が今は幸いしています。

 足元が良い場所はスピードを上げ駆け下りました。吹返峰を過ぎた辺りでは音が小さくなり雨が小止みになったようです。目の前に沼に下る分岐点が見え、少し考えましたが「8百メートル」の表示に釣られ、行って見る事にしました。

 急に踏み跡が薄くなった道はどこまでも下る感じですが、やがて前方に水面が見えて来ました。水際まで木々に囲まれた想像よりも小さな沼で、曇り空の下では陰鬱な感じすらしますが、周囲の木々の紅葉が救いとなっています。

 写真を撮っただけで早々に引き上げて反対側の登山道に向かいます。登山道に登り着くとまた雨が強く降り出しました。上空の樹木が疎らになって来て雨の落ち方も強くなって来たので、パラグライダーの発着所は諦めました・・。

 雨具を出すのも面倒で、緩やかな坂を駆け下りて行くと神社の屋根が見えて来ました。無事下山の御礼参拝をした後、南を見ると空を覆った雨雲に青空の隙間が広がり始め、霧に半分姿を隠した赤城山が広がる絶景が待っていました。

 雲の切れ間から射す陽が紅葉した山肌を赤く照らし、一日に二度、同じ絶景の違った表情を見る事が出来ました。悪路の参道を過ぎると緩やかな林道にスピードが上がります。駐車場は間もなくです・・・。         konakry

 



DSCF5373.JPG                    < 三峰沼 >

紅葉の三峰山・・・(2)



 逆光から見る紅葉は本当に美しい・・。
道はとんでもない悪路ですが、頭上は赤や黄色の葉で覆われ、しかも道の向きからはちょうど逆光になり、何とも言えない美しい景色が続きます・・。

 午前中は「曇り」の天気予報が前倒しになったのか、素晴らしい快晴に変わり、秋の強い陽射しが逆光の中の輝きをより強めているようです。出だしから紅葉を堪能し、悪路も気にならない満足感の内に河内神社に着きました。

 急な石段の上に在る赤鳥居を潜った先には古びているものの立派な社殿が有りました。参拝して振り返ると絶景が目に飛び込んで来ました。眼下に広がる沼田の街並みの先にはいつも見るのとは違った形の赤城山が広がります・・。

 標高8百メートル程の河内神社は南側がビューポイントになり、右手には子持山や浅間隠山も見えています。少し霞が出始め遠方は見えませんが、もっと晴れていれば西上州の山並みや秩父連山、更には富士山も見える筈です。

 始まったばかりでいきなりビューポイントですが、三峰山は山頂を含め、殆ど眺望の無い山なので眺望はこれが最初で最後となります。社殿の横に登山道の入口が有り、紅葉のトンネルに足を踏み入れ登山開始です・・。

大きくカーブする坂の道を登り切ると右手下の紅葉の間に神社の屋根が見えました。暫く進むとパラグライダーの発着所へ向かう分かれ道に出ましたが、発着所へは帰りに寄る事にして先に進みます。地図上では『追母峰』ですが・・。

 山頂は左手の樹林の中で、道はその脇を進んでいます。暫くすると道が僅かに下り始めました。標高で千から千百メートルの台地の上を歩くので、それほど大きな起伏は無いようですが、逆にアクセントが付いて良い感じです。

 暫く進むと今度は三峰沼との分かれ道に出ました。左手に下って行くと大小二つの沼に出るようですが、こちらも帰りに寄る事にして直進です。周囲はカラマツとナラに変わり、紅葉の色合いも黄色が中心となって来ました。

 GPSを見るとちょうど足の下を県道がトンネルで通っている「三峰山トンネル」の真上のようです。道は相変わらず同じ様な景色で、駐車場からは1時間以上が経ちました。登山と云うよりも少し荒れた公園を歩いている感じです・・。

 間もなく「吹返峰」ですが、こちらもピークは左手の樹林の中・・。今度は少し傾斜の増した登りに変わり、樹林の中に稜線の見えるピークに向かって登って行くようです。こちらもピークには出ず、手前を左手に下って行きます。

 「追母峰」・「吹返峰」・「後閑峰」の三峰からなる「三峰山」は、ピークを通るのは「後閑峰」だけのようです。下る道の途中から樹林の隙間の景色が見え隠れしていますが、まだ小さなピークがいくつも有るのが見えました。

 改めて地図をよく見ると、台地の中には10近い大小のピークが有り、それらの間を縫う形で登山道が付けられています。東と西に幾つもの崖が有るため、遠くから見ると樹木で境目が見えず、テーブルマウンテンに見えるようです。

 下りきると「後閑方面」に下る道との分かれ道で、「山頂まで1.4キロ」の道標が有りました。出発からは2時間が経過しました。その時、歩いてきた道の方から「クマ鈴」の音が近づいて来るのが聞こえました・・・。  < 続 く > 
                               konakry




DSCF5374.JPG                     < 後閑峰から谷川岳を望む >
   

紅葉の三峰山・・・(1)



 県北部の山々は紅葉の真っ盛り・・。
先週は玉原高原で見事な紅葉を味わいましたが、今週は少し南下して三峰山の紅葉を観ようと出掛けました。天気は朝の内は曇りのようですが・・。

 「三峰山」と云う山名はいたる所に在るようで、全国には20以上も有るようです。他所と区別をするために「上州」を付ける呼び方も有りますが、それはあくまでも他県の人間で、地元では「上州」等は付けません。

 特徴的なテーブルマウンテンの山容は、隣の三角錐をした戸神山と共に二つのコントラストが高速道路から見える特異な景色として目を引きます。一方、パラグライダーの発着場所としても有名です。地質学的にも興味深い山です。

 成り立ちは太古の大火砕流の堆積物の上に数百万年後にまた火砕流が発生し、その時の溶結凝灰岩により山容が形成されたと言われています。それが巨大なテーブルマウンテンとして、峰々を合わせて呼ぶ「三峰山」になったようです。

 地元のホームページには山の北側の県道から東側の林道に入り南下して市営の駐車場に向かうように案内されていますが、幾つかのネット情報には「北側からは林道が通行止めで入れない」と、コメントされているのを見付けました。

前回の戸神山の時に使った高速の側道を更に進むと、集落の先に東側の林道の入口が在ります。入口には「河内神社・三峰山登山口」と大きな看板が立っていますが、林道に曲がった途端に『エッ!』と思う程の狭さになります。

 どう見ても車のすり替えが出来ない狭さの林道で、急カーブが続く道は久々にストレスを感じる道路です。それでも林道の先が通行止めならば対向車は来ない筈・・と、少し安心しながら進みます。暫く走ると工事中の看板が・・。

 谷側の路肩が陥没したようで、ミキサー車が道の半分くらいを塞ぎ数名が作業をしていました。車を降りて様子を尋ねに行くと、親切な作業員は山側の路肩に有った小岩をいくつかどかしてくれ、通れるようにしてくれました。

 工事の場所から数分走ると駐車場に着きました。情報通り駐車場の先の林道にはバリケードと通行止めの看板が有りました。東側の林道は北の県道までの間が全面通行止めのようです。予想通り駐車場には一台の車も有りません・・。

 駐車場の背後には綺麗に紅葉した樹木が何本も見え、登る前から紅葉への期待感が高まります。身支度を整え、駐車場脇の舗装された道路を歩き出しました。天気は良い方に外れたようで、頭上には青空が広がっています。

 暫くは落ち葉の積もった緩やかな坂道が続きます。周囲はスギを中心にミズナラやカエデ、クヌギ、アカマツ等の木々が並び、赤や黄色に紅葉する木と常緑の木とが美しいコントラストを織りなし、目を楽しませてくれます。

 道の先が少し広がり、車回しの広場になりました。パラグライダー用の荷揚げ機のレールが伸び、河内神社への案内板が右手を指していました。看板に従って曲がるといきなり山道に変わります。しかもとんでもない悪路です・・。

 狭い急坂は大小の岩で埋まり、その隙間を縫う感じで道が伸びています。「落石注意」の看板は路面の岩を指しているようですが、神社への参拝前に修行を強いているのか・・と、思える程の道が続きます・・・。  < 続 く >    
                               konakry




DSCF5372.JPG                    < 河内神社への道 >

分断の時代・・・



 世の中に様々な分断が始まっています・・。
主義・主張や価値観等、様々な要因があからさまに主張される事により、それまでは一体だったものが要因に基づき選別されて行きます・・。

 ロシアのウクライナ侵攻が始まってから8ケ月が経過しましたが、依然として戦争が継続され、多くの人々の不幸な状態が続いています。そんな中で先月行われた国連総会で、「ロシアのウクライナ4州併合の無効」が決議されました。

 加盟国193ヶ国の内、賛成143・反対5・棄権35(欠席・不参加10)と云う数字で可決されました。反対はロシア・シリア・ニカラグア・北朝鮮・ベラルーシで、3月に行われた時のエリトリアがニカラグアに変わりました。

 9月の安保理ではロシアの「拒否権発動」により否決されてしまいましたが、総会では3月の決議から微増ながら賛成が増え、増々ロシアの孤立が深まりました。その一方で、世界の国々の「色分け」と分断が深まって行きます・・。

 大昔の「冷戦構造」は、ウクライナ侵攻により「ロシア対NATO」とやや構造を変えた対決となり、そこに中国やインド等の『新興大国』が微妙な拘わりをみせ、更にはアフリカ諸国等の新興国が目立つ動きを始めています。

ロシアの行動は「力による現状変更」として戦争が長引くにつれ小国に危機感を与え、更に物流が停滞した事による物不足や物価高は、食糧難や環境破壊に苦しむアフリカ諸国にとっては深刻な問題として態度表明をする国が増えました。

 一方、反ロシアの旗頭であるアメリカも「中間選挙」を巡り民主・共和両党の対立がヒートアップしています。嘗て「世界の盟主」であったアメリカは、トランプ大統領の出現により「自国優先主義」に大きく変わってしまいました。

 未だに影響力の大きい前大統領によってバイデン政権が苦境に立たされると共に、アメリカ内部の分断が次第に大きくなる様相です。大統領選挙が終わったブラジルでは更に対立と分断が深刻の度合いを深めています。

 返り咲いたルーラ大統領は「BRICs」に目を向けた外交路線を取ると言われています。20年前に話題に登ったBRICsは着実に国力を増し、国土面積や人口において世界の3~4割を占める影響力は計り知れません・・。

 アメリカを筆頭とするNATO諸国・ロシアを中心にBRICS諸国・石油を握るアラブ諸国・未知の集団アフリカ諸国・複雑な東南アジア諸国・こうした各国・集団がそれぞれの正義を主張し合い増々混迷と分断を深めて行く世界・・。

 そんな中で我が国は対米関係からアメリカと同じ歩調を取っていますが、北海道がウクライナになり、尖閣諸島を足掛かりに中国が侵攻、北朝鮮のミサイルは我が国全土が射程圏内・・と、全く無いとは言えない脅威を抱えています。

 国内では与党の一強は変わらぬものの、経済問題を始め様々な問題を抱えた政権の支持率は下る一方で野党の伸長は見られず、「支持政党無し」の政治不信が高まっています。格差社会に向かっている動きも深刻です・・。

 嘗ては9割近くを占めたと言われる「中流意識」は減少を始め、「貧困層」の増大による格差社会が形成されようとしています。分断の世界は決して他人事ではなく、確実に我が国にも迫っているようです・・・。      konakry





DSCF5285.JPG                    < 秋の山道 >

紅葉を求めて・・・(2)



 紅葉は殆ど見られませんでした・・。
スギ主体の戸神山では稜線部分の灌木が紅葉していたものの、『紅葉を見た』と云う実感にはほど遠く、次の玉原高原に期待する事にしました・・。

 元来た道を下山し、50分程で観音寺に着きました。普段は人が住んでいないようで、催し物その他を案内する様々な張り紙がしてあります。無事下山の御礼参拝をして車に戻りました。時刻は昼少し前、玉原高原まで一走りです。

 30分ほどで玉原高原センターハウスに着きました。予想通り周囲は全て紅葉・・!  しかも午後の強い陽射しが鮮やかさを増幅しています。紅葉を眺めながらの贅沢なランチを車の中で摂りました。今回もコロッケパンです・・。

 流石に紅葉名所の一つで、駐車場は満杯です。そこへ観光バスが入って来ると、かなりの人数の登山姿の人々が降りて来て、全員が湖の方に下って行きました。湖の周りから背後の山々まで、至る所に紅葉した木々が見えています。

 時刻は13時を回ったばかりで時間は十分あります。地図を見ながら妻の要望を全部叶える「ブナ平」と「湿原」を周回するコースを歩く事にしました。湖から戻った団体が山の方に入って行くのが見えたので、少し間を置きました。

 歩き出しは道幅の広い舗装道路で「自然環境センター」へ向かって行く道のようです。道の周囲から頭上までが全て紅葉で、午後の陽射しはまるでライトアップしたかのような輝きを与えています。振り返ると逆光がまた素晴らしい・・。

 直ぐに分かれ道が現れました。右手の「ブナ平」方面に入ります。直進すればキャンプ場ですが、ブナ平へは左手の斜面を登ります。ブナ・白樺・カエデ等の落葉広葉樹に囲まれた道は、苦にならない緩やかさで登って行きます。

 新緑がオゾンの森林浴ならば、紅葉からは何が出るのか、心が和みます・・。暫く進むと前方から人声が聞こえて来ました。件の団体が休憩しているようで、我々が近づくとリーダーが一行に道を開けるように声を掛けました。

 道を譲って貰った手前、休憩なしで通過してブナ平を湿原の方角に向かいます。名前の通りブナの林の中を平坦な道が「長沢・三角点」に向かって伸びています。林の奥には陽に照らされた紅葉が赤く光る素晴らしい道が続きます・・。

 10数分歩くと分岐点に出ました。標識に「長沢」と「湿原」のそれぞれの表示が有り、給水のため小休止をしました。「長沢」方面は更に登りが続き、外周を回って湿原に下ると1時間以上掛かるようで、直接湿原に下る事にしました。

 標高差百メートル近く下る道は、途中で水の少ない沢を渡る変化の有る道で、30分足らずで湿原に着きました。小さな湿原は長径でせいぜい5.6百メートルと云った感じで、周囲を木道が取り囲んでいる、「超ミニ版尾瀬」です・・。

 湿原は薄茶色のヨシが一面に広がり、風に揺れる真っ白なススキと対岸の濃緑の森、その上にシルエットの尼ケ禿山がコントラストを成す「秋」の光景が広がります。東側の木道を選んだので、逆光が美しさを増幅しています。

 センターハウスに戻ると乗客の帰りを待つバスがエンジンを掛けたまま停まっていて、後は我々の車だけでした。戸神山頂の絶景と玉原高原の紅葉とを同時に味わう贅沢な旅が出来た満足感を胸に、帰路に就きました・・・。  konakry





DSCF5284.JPG                    < 玉原湿原の秋 >

紅葉を求めて・・・(1)



 各地の紅葉が盛りを迎えています・・。
県の北部からから始まった「紅葉見頃地図」は、中部から南部へと広がり、間もなく全県が見頃になりそうです。そんな情報に誘われて・・。

 紅葉見物と云っても、登山を兼ねたものにしたいため、県北部を探すと谷川岳は2週間前に行ったばかりで、手前の玉原高原が適地です。更に途中に在る戸神山の山頂の景色を妻に見せたいため、セットの企画としました。

 天候を選んで日程を決める事が出来る自由さで、今回も高気圧が全国を覆った絶好の日和です。冬型の天気に近い快晴なので、気温が低くて空気が澄むため遠くの山々までが明瞭に見え、陽射しで紅葉も鮮やかになる筈です。

 間もなく降りる高速道路からは、三角形に尖った戸神山が見え始めました。今回は岩場が苦手な妻のために、山の東側に在る「観音寺」から登る事にしました。南側にも林道コースは有るものの、山頂直下が岩場のため東側にしました。

 町の案内では、少し離れた「ふれあい広場」が東側の登山口のようですが、ネットで観音寺の写真に「参拝者・登山者駐車場」と映っているのを見付け、ナビを「石尊山観音寺」にセットし出発しました・・。

 ナビの案内に従って県道から脇道に入ると、道は急に細くなりました。集落の路地のような道は山の方に向かっていますが、最後は他所の家の庭先に入るのか・・と思うような道で、裏手に回って行くとお寺が見えて来ました。

 斜面に広がる石仏群の最上部に赤い屋根の本堂が在り、背後の山が戸神山です。尤もこちらでは戸神山では無く『石尊山』と呼んでいるようです。ネットで見た看板の有る駐車場には、車は一台も停まっていませんでした。

 朝の出発が早かったので、9時半には歩き出しました。本堂のすぐ横から登山道が始まり、スギを中心とした樹林の中を道が登って行きます。スギは植林されたものか、かなりの密集で頭上遥かまで伸びており、他の樹種も見えます。

 山頂までは1キロちょっとしか有りませんが、山の形通りの急登です。一旦北に向かった道は南に向きを変え、全体としては大きな九十九折を描きながら登って行きます。樹林の中の道は全く眺望が無いまま、高度を上げて行きます。

 40分程して尾根に出ました。標識は右へ行くと「高王山」、左は「戸神山」と書かれ両山を結ぶ稜線の道です。稜線に出てもまだ眺望が無く、頭上を樹木が覆っていますが、まるで山頂での眺望の素晴らしさを温存している感じです。

 やがて足元が岩場になり、ロープが張られた場所が現れました。岩山なのでやはり最後は岩場になりますが、南側に比べたら遥かに楽ですが・・。岩場の苦手な妻のスピードが一気に落ちました。ルートを示しながら先導します。

 上の方に見覚えのある石灯籠が見えて来ました。妻に先頭を譲り山頂に立ちます。360度の絶景は澄んだ空気のお陰で眺望の範囲を広げ、前回の何倍もの感動を与えてくれました。南の彼方には雲の上に富士山も見えています。

 1時間ちょっとで登り切り、おやつを食べながら30分ほど休憩しました。今回は双眼鏡が活躍で、富士山も浅間山も冠雪の状態が良く見えます。これから向かう玉原方面も何と無く色付いた感じです・・・。  < 続 く >  konakry





DSCF5283.JPG                    < 戸神山から三峰山を望む >

三度船ヶ鼻山へ・・・(3)



 時刻は昼を大きく回りました・・。
山頂での眺望が無い事は分かっているので、それを妻に伝え、ここで昼食を摂る提案をしました。それぞれベンチに腰を降ろし昼食です・・。

 最近はコロッケパンにハマってしまい、今回もコロッケパンと赤飯お握りです。季節が涼しくなって脱水も起きなくなり、疲労が少なく食欲が旺盛になります。たちまち完食でおやつにも手が伸びます。

 頭上を通る送電線はいくつもの鉄塔を経由して遥か足下の方向に伸びています。振り返ると樹木の隙間から赤白に塗られた巨大な鉄塔の一部が見えています。地図を見れば山頂が直ぐ近くである事がわかります。

 食事を終え数分歩くと、分岐点に出ました。右に登れば山頂、左に下るのは「牛石コース」で、此処にも鐘が有ります。第四の鐘を一回ずつ鳴らし山頂へ向かいます。見覚えのある標柱が見えた所で妻に先頭を譲りました。

 船ヶ鼻山の山頂。三度目の景色でお馴染みですが、最初に登った時の直後に設置された昭和村・村長の安全祈願碑だけが真新しく目立っています。初めての妻は、石祠と山神碑の両方に律儀に参拝して賽銭を上げていました。

眺望の全く無い山頂広場を一巡します。南側の「鷲岩」の周りは綺麗に紅葉していました。非常に良い登山道を持ちながら、山頂には眺望の無い事がこの山のパフォーマンスを低くしており、勿体無い感じをより一層強めました。

 下山は「牛石コース」を下る事にしました。分岐点から下山方向を見ると巨大な鉄塔が目の前に聳えていました。高さおよそ百メートルと云われる大きさは、真下に立ち身体をのけ反らして見上げると良く分かります。本当に高い・・。

 牛石コースは真北に下る道で、こちらも足元が良いためスキーの滑降のようにやや腰を落として膝を曲げると、歩行のスピードがどんどん上がります。妻も登りの時とは別人のようなスピードで、直ぐ後を付いて来ます。

 幾つかのカーブを曲がると旧街道との分かれ道に出ました。五輪尾根の野坂峠に有った「沼田へ20キロ」の道標が示していた道で、嘗ては往来が有ったようですが、今は忘れられた道になっています。分岐点に大きな石が有ります。

 「牛石」と呼ばれ、コース名の由来にもなっていますが、確かに牛が寝ているように見えなくも有りません。山頂からここまでの2キロ少しを、スピードを上げたため45分で下ってしまいました。数年前のペースが蘇りました。

 小休止の後は緩やかな林道歩きが続きます。北に向かって緩やかに下る道からは午後の陽射しを浴びて紅葉が映える美しい景色が続きます。暫く進むと道の脇に広場が現れ「中間点」の表示が有り、登山道は広場の奥に変わります。

 五つ目の鐘は何かの金属パイプを切った感じで、高い音が消えて行きました。全山で七つの鐘が有り、良く考えると長い登山道での登山者の気を紛らわせるための鐘の配置のような気がします。それぞれの様々な音色を楽しみました。

 早い山の夕暮れで暗くなった山道の先に素晴らしい景色が待っていました。風に揺れるススキの背後に広がる田畑と遠い山並み・・長閑な高原の風景が疲れを癒してくれました。登山口のゲートは直ぐ先です・・・。      konakry





午後も山道.JPG                    < 午後の山道 >

三度船ヶ鼻山へ・・・(2)



 広場の隅には鐘が置かれています・・。
金属の枠の中に吊られた30センチほどの鐘は『動物たちへの合図の鐘』と書かれた札が添えられ、その横に大きな木槌が下げられていました。

 春に登った時には、遠慮がちに叩いてもかなりの音に少し驚きましたが、今回は様子が分かっているので思い切り叩きました。綺麗な高音が森の中に消えて行きます。妻に勧めるとやはり遠慮がちで、最初は誰もがそのようです。

 道はここから本格的な登山道に変わります。傾斜もきつくなりましたが苦になる程でも無く、何よりも足元が良いのが好印象の山道です。村が登山道を整備するのに相当力を入れ、歩き易い道にした事が良く分かります。

 静かな登山道に微かに水の流れるような音が聞こえ始め、次第に大きくなって来ました。コース名の由来である水源から流れ出す水音で、斜面途中にある上部が鍵の掛かった鉄板で覆われた四角い井戸のような形の中から聞こえています。

 どこの山も膨大な量の保水能力を持つようで、自然の力を感じます。やがて尾根の上部で道は直角に曲がり、小さな沢を渡って次の尾根へと伸びて行きます。今度は斜面を九十九折に登る道で、変化を付けて飽きさせない趣向です。

後を振り返ると妻が遅れ始め、数十メートルの距離が開いていました。平坦な林道は良かったのですが、傾斜が増した登山道ではまだ身体が「登山モード」に切り替わっていないようです。声を掛け給水で止まります。

 5分も行かぬ内に「第二の鐘」が現れました。形は細長い円筒形で、音色は最初の鐘に比べると遥かに高い金属音です。妻は2回叩き、疲れが紛れたようで少し元気になりました。再び尾根が変わり、大きな岩が現れました。

 コース全体は南東の山頂に向かっていますが、いくつもの小さな尾根を詰めて行きながら6百メートル近い標高差を4キロと云う距離で消化する上手い設計で、あまり苦しい思いをせずに登頂出来るなかなか良い登山道です。

 更には樹木に付けたルート表示のリボンだけでなく、分かれ道や登山道の様相が変わる場所には、「山頂」と書かれた矢印看板に『がんばれ』や『ガンバレ』などの添え書きが付けられて、登山者を励ます気遣いが見られます。

 妻の遅れが目立ち始めた頃に三つ目の鐘が現れました。今回もそれまでとは全く違った形状で、当然音色も異なります。それほどクマを始め野生動物が多いのかと思ってしまいます。妻は今度は4回叩きました・・。

 前方の道が緩やかに下り始め、登山道としては初めての下りですが、尾根の途中の大岩を迂回するための下りで、暫く進むと登りに変わりました。前方が開けて来て、「つつじ平」と呼ばれる休憩ポイントが現れました。

 小さなベンチが二つ置かれたテラス状の場所に登り着くと、素晴らしい景色が待っていて、思わず声を上げてしまいました。春の時は灰色の霧のカーテンで何も見えなかった空間には180度の大展望が広がっています・・。

 秩父連山や八ヶ岳・浅間山等の遠景の前には西上州の山々から榛名山・子持山・小野子山などが見えますが、千4百メートル超の此処からは足下に並ぶ感じです。三度目にして初めて味わう絶景でした・・・。  < 続く >  konakry





DSCF5218.JPG                    < 登山口からの風景 >

三度船ヶ鼻山へ・・・(1)



 素晴らしい快晴です・・。
高気圧が全土を覆い、昨日から始まった晴天はより完璧なものとなり、正に雲一つない快晴です。周囲の山々も霞まずにその姿を見せています・・。

 北へ向かう高速道路は順調に流れているものの、走る時間帯のせいか車の量が多く感じられます。仕事の車か、行楽の車なのか・・と、ナンバープレートを見ては余計な詮索をしてしまいますが、そうこうする内に出口のインターです。

 暫く一緒に登山をしていない妻に、『極楽登山』のバリエーションとして船ヶ鼻山の話しをしたら興味を示し、登山が決まりました。これまで南・北両方向から登りましたが、やはりオーソドックスな北から登る事にしました。

 インターを降りてから登山口までは、ほぼ直線の6キロほどの道が続きます。赤城山の北西部の「高原」と云う表現にぴったりの緩やかな斜面を登って行く道からは、船ヶ鼻山のシルエットが次第に大きくなって行くのが見えます。

 道路を直角に曲がり登山口へ向かう道には金属製の扉が有り、春に来た時は閉まっていて自分で開けて中に入りましたが、今回は開いていました。夏のシーズンに多くの登山者が来て、開放するようになったのかも知れません。

5百メートル程進んだ右手に広い駐車場が有りますが、中に入ると駐車場は30センチ近く伸びた雑草で9割方が覆われていました。我々以外に車は無く、時刻から考えるとどうやら「貸し切り登山」の感じです・・。

 春の時は霧で駐車場が見えず、道路の突き当りの東屋の脇に車を停めましたが、今回は登山口のレイアウトが良く分かりました。駐車場の突き当りに綺麗なトイレが在り、その脇の階段を登ると登山口の東屋に出ます。

 コースの案内表示には右側が「楢水コース 4.0キロ」、左側に「牛石コース 5.8キロ」と記されており、林道中心の「牛石コース」は下りに使う事にして、「楢水コース」から登る反時計回りの周回をする事にしました。

 歩き始めると直ぐにカンヌキの付いた小さなゲートが在り、野生動物の出入を防ぐために必ず閉めるようにとの注意書きが付けられています。中でも赤文字で「クマ出没注意」が目を引きます。内側からカンヌキを掛け進みます。

 スギを中心にナラやクヌギ等に囲まれた林道が伸びています。春の時は霧で、周囲に樹林が有る事は分かりましたがシルエットしか見えませんでした。特にスギは植林されたものらしく、等間隔で綺麗に並び遥か頭上まで伸びていました。

 緩やかな傾斜で足元も良く、快適な林道歩きは約束通りの『極楽登山』で、妻も満足そうです。来る前に「クマ出没」の話をしたので、ザックの外に吊るした妻の「クマ鈴」の音が、静かな林道に響き渡ります。

 林道は台形をした船ヶ鼻山の山腹を巻くように作られており、徐々に高度を上げながら南に向かって伸びて行きます。30分ほど歩くと頭上が開けた場所に出ました。前方の樹林の上には特長あるトンガリの山の鈴ヶ岳が見えます。

 再び樹林に入った道が昇りの傾斜を増し、その先に広場が見えて来ました。林道の終点の広場で、時刻は10時40分。出発からちょうど1時間はまずまずのペースで、妻にそれを伝え給水と小休止です・・・。  < 続 く >  konakry





DSCF5220.JPG                    < 船ヶ鼻山の林道 >

追悼の日々・・・



 戦後77年・・。
長い間戦争とは無縁だった我が国では、「戦後」とは何時の「戦後」なのかと云われるほど時が経ち、事態は忘れ去られようとしています・・。

 1941年から始まった「太平洋戦争」は1945年9月2日のポツダム宣言の受諾署名により終結しました。以降、朝鮮戦争の米軍補給地として拘わった以外は、全く戦争とは無関係で、先進諸国の中では珍しい存在になりました。

 人口構成も戦後生まれと云われる人たちが8割以上を占める現在、戦争の記憶は日増しに風化を続け、放って置けば忘れ去られてしまいます。3百万人を超える犠牲者の慰霊と平和希求の団体に拘わる身としては何とかしたい現実です。

 明治以降の戦没者を祀る護国神社の例大祭が催行されました。コロナ禍は今年も続き、嘗ては二日間に渡り全県から2千名近い参列者で行われたものが、一日だけ・2百名弱の大幅縮小の形で執り行われました。

 以前は市町村毎に昇殿参拝したのですが、今回は各団体の代表数名が昇殿し、我々は参道脇のテントの中に座る事になりました。今にも降り出しそうな空模様の中、太鼓が打ち鳴らされ開始を告げると「越天楽」が聞こえて来ました。

「笙・篳篥・竜笛」の雅楽トリオが演奏しながら神官を先導し本殿に上がります。いつもながら神官の履く「浅沓」が歩き難そうで、玉砂利の上では転びはしないかと余計な心配をしてしまいます。無事昇殿し祝詞が始まりました。

 殆ど聞こえない祝詞と、「浦安の舞」も遠過ぎて、目の前で見て感動した数年前とは大違いです。ともあれ雨が落ちない内に無事終了しましたが、若い世代に如何に語り継ぐかと云う宿題の答えは見付かりませんでした・・。

 翌日は県が主催する『戦争の記憶展』の受付をしました。今回の目玉は「AIによる当時の写真のカラー化」で、大昔の市内の様子が見事にカラー写真として再現されていました。中には子供の頃に見た記憶が有る懐かしい景色も・・。

 県職員の女性とペアで受付を担当しましたが、来場者にパンフレットを渡し、アンケートを書いて貰うのが仕事です。カウンターで来場者数をチェックし、スクリーンに投影しているDVDの交換作業も含まれます。

 来場者の殆どは高齢者ですが、若い人の姿も見られ、「戦争の記憶を語り継ぐ」という目的が少し叶いました。一人の若者が戦死した祖父の詳細を知りたいと尋ねるのに、県職員が丁寧に対応して、問い合わせ先を教えていました。

 展示を見終わった人々の殆どが受付に寄って感想などを話して行きますが、中には展示写真中の「子供」のご本人が現れたり、映っている建物の隣に住んでいたと云う人がいたりと、思わぬエピソードがいろいろ有りました。

 終了時間になりカウンターの数字を見ると一日で5百人を越える来場者が有りました。若い人の姿もかなり見られたのは、長引くロシアのウクライナ侵攻が、忘れられていた「戦争」を再び人々に思い起こさせたのかも知れません。

 こうした企画やSNSを始め様々な方法での広報活動、更には学校教育の在り方等々、あらゆる手立てを尽くしての「継承・伝達活動」の必要性を改めて痛感した一日でした。  戦後77年経ちました・・・。       konakry





DSCF5208.JPG                    < 秋の気配 >

厳しい規制・・・



 海外送金の規制が一段と厳しくなりました・・。
特に今世紀になってからは新たな法規制も加わり、厳しさが増していましたが、ここ1,2年で更にハードルが高くなったようです。

 アメリカに住む親戚に送金するため、近所の銀行に行き手続きをしようとした所、ここでは出来ないと言われました。過去に10回近く送金を行ったのですが、直近は4年前。銀行の説明では2年前にルールが変わったとの事でした。

 見せられた資料によると、2年前から取り扱い店舗が制限され、市内では3店舗のみとなっており、訪れた支店は除外されていました。理由には「マネーロンダリング」と「テロ資金の送金防止」の犯罪抑止が記されていました。

 結局3店舗の中から一つを選び、そちらに出向いて手続きを行う事になりましたが、今度はコロナ禍による予約制で時間を決めねばならず、従来のままと思って昼前に出掛けて来たので、一旦帰宅して1時半の予約を頼みました。

 裏社会の犯罪に関連した金や脱税等の裏金の隠匿には全く無関係の一般人であり、「マネーロンダリング」の必要も無ければ、テロにも無縁な一市民ですが、「9.11」以降は世界中が「テロ資金」の抑止に力を注いでいるようです。

選んだ支店は街の中心部に在り、家から車で15分ほど掛かります。駐車場を持たないため、周辺の有料駐車場を利用して欲しいとの事で、近くの立体パーキングに入りましたが各階満杯で、結局7階まで昇り駐車しました。

 初めて入った支店は閑散としており、殆ど人の姿が見えません。生活感の有る地元の支店とは大分雰囲気が違います。案内され2階に上がり、窓口で来意を告げると、担当の行員から先ほどの店と同じ説明を受けました。

 4年前の書類は使えず、新たに同じものを記入するのですが、キーボードは叩いても手で文字を書く事を暫くしておらず、アルファベットで大量の文字を書くのはかなり疲れます。10分ほど掛かって書き上げました。

 書類と通帳を渡し、ブースの中での待機が始まりました。途中で運転免許証のコピーを撮られ、送金理由の詳細書き替えが有り、後はひたすら待つだけです。70分後、「お待たせしました」と件の行員が送金完了を告げに来ました・・。

 海外の銀行とのやり取りは「SWIFT(国際銀行間通信協会)」と呼ばれるシステムの中で、いくつもの銀行を経由して決済が行われるようですが、その間に送金者や受取人の調査その他いろいろな手続きが何回も行われるようです。

 午前の部を含めるとかなりの長時間を費やした訳で、おまけに送金手数料も今年から従来の2倍に引き上げられていました。銀行で渡された資料の中にはネットバンキングが有りましたが、訊けば法人のみが利用可との事・・。

 帰ってからネットで探してみると「資金移動業(者)」と云う新たな業種が法律で認可されている事が分かり、ネットで利用出来る上に手数料も銀行の半分以下・・と云う事が分かりました。次回には利用するつもりです。

 銀行を出て駐車場に向かう前に、街の中を少し歩いてみました。コロナ自粛で街中へ出て来たのは2年振りです。夜を中心に頻繁に通った街並みはどこか違った景色で、まるで知らない街を歩いているような感じでした・・・。 konakry





DSCF5207.JPG                     < 秋の気配>